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Christian Journal

福音主義・キリスト教民主主義に立脚する日刊ブログ

ツツ大司教

本紙の立場は、教会派か社会派かと問われればガチガチの「教会派」です。しかし、同時に真に教会派であるなら、真に社会派でなければならないし、また、逆もしかりだとも考えます。「社会派=悪」かのようなレッテルはできれば貼りたくありません。こんな風に書くと、禅問答のようにも見えるかもしれません。一つの理想形として、「社会派」の司祭で、ノーベル平和賞受賞者でもある南アフリカのツツ大主教をご紹介したいと思います。
 彼は悪名高い人種差別政策アパルトヘイト後の南アフリカで、真実和解委員会の委員長に黒人からだけでなく、白人からも推挙された人です。彼は宗教者として、キリスト者としてアパルトヘイト政策が以下に「神のかたち」につくられた人間のあるべき姿を棄損しているかを、何十年にも渡ってハッキリと発信し続けた人でした。ですから、人種差別撤廃運動の精神的支柱であり続けました。しかし、黒人の権利向上の闘士として過激な政治活動をしてきたわけではなくて、政治家ではなくてあくまで宗教者の立場から発言し続けてきたからこそ、保守的なキリスト教国である南アの白人からも信頼されていました。また、彼は教会を大事にし続けたからこそ、聖公会大主教という極めて高い地位に推挙されたと言えるし、逆に社会に対してはっきりと聖書的人間観を言い続けたからこそ社会も彼にそのような地位を与えたと言うことができます。また、南アの社会で彼の言葉に耳を傾ける人が多いのは南アの教会が熱心に伝道した結果、キリスト教人口が多かったからだということもできますし、南アの教会がそこまで信頼され伝道できたのは白人政権におもねらず、社会に対してぶれずに物を言い続けたからだということができます。 さらにさらに、彼は社会に対して聖書的世界観を発信しますが、彼の発言は決してイデオロギッシュではないのです。神から賜った人権が棄損されていると感じたらその矛先がイスラエルだろうが中国だろうが問題点を指摘するのです。この辺が、日本なら、「従米」だとか「媚中」だとかいってイデオロギーに支配されるのと違います。  ですから、この国のキリスト教界で社会派・教会派の不毛な対立が続くのはきっと、社会派も社会派に成りきれていませんし、教会派もきっと教会派になりきれていないのだろうと考えています。