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Christian Journal

福音主義・キリスト教民主主義に立脚する日刊ブログ

自民党改憲草案の本当危険性(1)

キリスト者が、政治に左右を超えて自民党改憲草案に頑強に反対しなければならないとすれば、それは平和主義を掲げた9条でもなく、硬性憲法を定めた96条でもなく、はたまた新設される緊急事態条項でもなく、ひっそりと削除された97条であるといえます。平和主義を掲げぬキリスト教民主主義国もあれば、軟性憲法をもつキリスト教民主主義国もあれば、緊急事態条項を保持するキリスト教民主主義国もあります。しかし、97条に書かれている、人権が至上性、不可侵性、永遠性を否定してはキリスト教的世界観を保持しえません。我が国は決してキリスト教国ではありませんが、敗戦の結果、神の配剤によって天賦人権説を憲法に明記するという知遇を得る国家となりました。これがどれほど大事なことか、日本に住むクリスチャンもその有益性に気づいている人は多くはありません。これがどれほどキリスト教的世界観をまかりなりにも保持する律法の第二用益として機能しているかを日本にすむキリスト者は再考すべきと言えるでしょう。福音宣教道半ばの日本のキリスト教会の拙い歩みを補うために、憲法が代わりに70年に渡りキリスト教的世界観を保持してくれていたのです。

第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

端的に言えば97条は国家より人が上に立つと宣言しているのです。国家は人の罪のために副次的にゆるされた制度であり、人は国家が存在する前から人であり、人として(神のかたち)として尊重されるべきものなのです。それはいかなる国家権力であっても人が人であることを犯すことはできないと宣言してくれているのです。仮に同条が存在しなければ、それは、近代民主主義社会を形成する上で欠かせない思想、「天賦人権説」を採択しないことになってしまいます。もし、人が人である理由が天から、神からのものであることを否定すると、人が人である根拠は何に由来することになるのでしょうか?天賦人権説を捨象すれば、次に、「人が人であるのは国家が保障するからだ」という国賦人権説を取らざる得なくなります。国家が存在しなければ人は人足りえないということになってしまうのです。これは、完全にキリスト教的世界観に対する挑戦です。(続く)